2013年1月1日火曜日

「孤高の人(上下巻)」を読む

昭和初期の日本で、クライマーの歴史を切り開き、31歳の若さで消息を絶った加藤文太郎の短くも太い人生を描いた山岳小説。

 

上下巻の長編で貫かれるのは加藤の山登りに対するすさまじい執念。本業は造船所の技師だが、彼はトレーニングとして通勤時に石の入ったリュックを担ぎ、有休と給料のほとんどを登山につぎ込む。そんな変人に会社の同僚が温かいはずもないが、彼はそれでも山へ突き進む。

会社でも孤独な加藤は山でも孤独、というより孤独を愛した。「黙っていることにかけては、誰が来ようと加藤に勝つものはなかった。」って、自慢にならない自慢もしている。

加藤が生きた昭和初期、登山は道具や食料が今ほどコンパクトじゃないから、仲間と協力して荷物を分担するのが常識。しかし、加藤は会社で定められたわずかな休日をやりくりして、限られた日数で複数の山に挑む。そのため、パーティを組もうにも他人とのスケジュール調整ができず、単独で登らざるを得ない。

彼は思い立てば、一人で山へ向かい、休憩や食事の時間を惜しみながら、わずかな日数で山頂を制覇する。仲間がいないことで、登山服や持ち物、食糧に突飛なアイデアを加えても、無口な加藤にとっては説明する手間が省け、誰にも邪魔されずに試行錯誤することができた。そうして生まれた非常識ともいえる彼独特のスタイルでありながら次々と山を制覇する彼は「単独行の加藤文太郎」と呼ばれ、山岳界の注目を浴びる。

そんな孤独な登山を愛した加藤だが、やがて会社でも出世し、妻子を持ってからは「孤高の人」である自分に疑問を感じるようになる。彼はついに単独行をあきらめ、パーティによる登山を決行する。それが最後の登山となる。

山中でのサバイバルに疲れ、人と協力し合うことに喜びを感じるようになったとたん、山は加藤に死を与える。それも、仲間による無謀な計画に引きずられての結果だ。「単独行の加藤文太郎」という名声が現在でも語り継がれているのは、初めてのパーティ登山がこの結末だったからであり、本人や遺族にとってはなんとも皮肉なニックネームだ。

ところで、作者の新田次郎はこの小説連載中のことを以下の自伝で詳しく述べている。当時、作者は気象庁に勤めながら作家活動をしている。加藤と同じく兼業職人であった。加藤は技師としてもクライマーとしても決して手を抜かなかったし、言い訳をしなかった。最後の登山でも、他人の責任に転嫁することなく、全力で自分のできることを実行した。2足の草鞋を履く同志として、また自分への戒めとして、作者は加藤を描き、応援したんだろう。

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