2013年1月12日土曜日

「横道世之介」~夏目漱石の「三四郎」が読みたくなる

横道世之介


映画化されることを耳にしたので、読んでみた。

夏目漱石の「三四郎」が80年代のバブル期に生きていたら、横道世之介になるんだろう。

お金もない、コネもない、目標もない。時間だけはある。そんなノーテンキな大学生、世之介の1年間を追った青春小説。ケータイのない時代、地方から上京した大学生って、こんなんだったよな。と、ほぼ世之介と同世代のワタシは思い出す。ケータイもメアドもないから、電話ボックスから友人の固定電話に留守電を残す。グーグルもないから、104番で電話番号を検索する。そんな時代だったけど、別に不便じゃなかったし、楽しかった。

それにしても、吉田修一氏の小説には毎回、驚かされる。ワタシが読んだ作品は、「パークライフ」、「さよなら渓谷」、「悪人」くらいだけど、本作を含めてこれら4作品、とても同じ作者とは思えない。作品のジャンルにテーマ、雰囲気すべてが違う。実績のあるベテラン作家なのに、独自の色を持たず、新しい作品に常にチャレンジ。それって、すごく勇敢だ。

そんな何色にも染まらない著者が作り出した、あっさりと他人の色に染まってしまう横道世之介。彼はバブル期に青春を謳歌し、40代となった現在でもやっぱり他人に流されるまま、事件に巻き込まれる。

語られる彼の人生は大学1年生のときだけ。そして、20年間をすっ飛ばしていきなりの大事件発生。でも、彼はのらりくらりと、20年間を過ごしたんだろうってことはわかる。それは他の誰とも違う「世之介らしい」生き方。すばらしいとか、幸せとか、そんなありきたりなコトバでは形容できないオンリーワンな生き方だ。

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